ぼうずコンニャクの日本の高級魚事典
魚通、釣り人、魚を扱うプロの為の初めての「高級魚」の本。
美味しいマイナー魚介図鑑
製作期間5年を超す渾身作!

すし図鑑
バッグに入るハンディサイズ本。320貫掲載。Kindle版も。
美味しいマイナー魚図鑑ミニ
[美味しいマイナー魚介図鑑]の文庫版が登場

すし図鑑ミニ ~プロもビックリ!!~ すし図鑑が文庫本サイズになりました。Kindle版も。
からだにおいしい魚の便利帳
発行部数20万部突破のベストセラー。

イラスト図解 寿司ネタ1年生 イラストとマンガを交えて展開する見た目にも楽しい一冊。
全国47都道府県 うますぎゴーゴー!
ぼうずコンニャク新境地!? グルメエッセイ也。

スロット マシンカジノ 4号機

ベットアンドユーカジノ

コラム 

花札 任天堂

昔々築地場内で、貝を剥くバアチャンに「ヤギ(バカガイ)好きだね」、と何度か言われたことがある。築地には貝専門店がいくつもあって、帰り際に剥き身にしてもらっていたものである。
貝を剥く情景が市場から消えて久しく、これこそが東京本来の市場らしさだと思っていたボクは、わずかに残っていた江戸のよすがが消えたと思っている。
八王子の市場に今、貝屋はないので、八王子綜合卸売協同組合、舵丸水産でヤギの剥き身を買う。
間違いなく産地は北海道である。足(刺身で食べる部分で。二枚貝が砂にもぐり込むときに使う)の色が淡いのである。それでも足に膨らみがあって春らしい。
ときどき「北海道産よりも江戸前、木更津あたりが上だね」という人がいるが、ボク個人としてはそんなに違いがあるとは思えない。
だいたい最近、江戸前の船橋、木更津、富津のバカゲェを食べていない。
ちなみに元禄期(1700年前後)に、江戸の町は100万人前後の人口を抱えるようになり、水産物を江戸前である品川〜大島あたりではまかなえなくなり、旧葛飾郡(行徳、船橋市、千葉市、市原市)でも足りなくなり、木更津あたりに供給地を求めるようになる。
この下総の二枚貝の集積地が市原市青柳になったのは、供給地の広がり故だと思っている。
これが縁で、日本橋にあったときから魚河岸の仲買の里(出身地)が佃島だけではなく、浦安であったり、行徳であったり、船橋であったりしたのだ。
まさか後に、三河(愛知県)、北海道と主産地が移り変わるとは思ってもいなかったはずだ。
ヤギはあまりにも日常的なので深夜酒の前にさささっと仕込む。
剥き身の水管とひもをはずし、皮膜を切り捨てる。
水管・ひもは塩水で洗い水分をきって保存する。
足は開いて、「イチ」と言う間ほどに湯に通す。
水分をよくきる。
これで刺身の出来上がりなので超簡単である。
ちょっと贅沢にわさびをすり、福島県猪苗代町、稲川本醸造を冷やして1ぱいだけ。本醸造は香り弱く、辛口でバカに合う。
ヤギはあまりにも日常的なので、味の表現が難しい。
味覚学の世界では、いくつかのアミノ酸が合わさると甘いと感じると言うが、それだと思う。その甘味以上に感じられるのが渋味である。
シ・ブ・ミと音にしていうとハードボイルドな感じがしていい。
コラムの続きを読む 
郷土料理 

スロット マシン

八王子綜合卸売協同組合、舵丸水産に兵庫県明石市、明石浦漁業協同組合から明石鯛(マダイ)が来ていた。桜はまだちらほら残っているので、ぎりぎり桜鯛という言語を使ってもいいだろう。
以上は前回に書きとめた。
このときお茶菓子代わりに兜焼きを作り、一度ダウンして昼下がりに腹の虫を慰めるために飯もんを作った。
いちばん簡単にできる「南予風 鯛めし(鯛飯)」である。
コラムの続きを読む 
コラム 

壇 蜜 スロット

鼻水攻撃で1日棒に振り、貴重な時間が消えてなくなる。今年もなんの収穫もなしに過ぎていくんだろうなと思いながら、埼玉県川島町、大河戸製麺の太焼きそば麺で焼きそばを作る。
ときどき焼きそばを無性に食べたくなるボクだけど、今年になって、ずーっと「あとがけ」である。
「あとがけ焼きそば」は山形県酒田市の名物でもあるが、調理の途中、ソースをからめ、ソースを焦がすという工程がない。味つけはテーブルのソースで好きにやってくれ、といった投げやりさが逆にいい。ソースをかけすぎると大変なことになるが、自己責任なので、文句のいいようがない。
いろいろ上にのってゴージャスだったが、逆に麺は平凡だった。
焼きそばとか、お好み焼きとかは明らかに1945年の戦後のものである。いろいろ歴史を語る向きがあるが、基本的に新しいと考えないとダメだと思っている。1945年以前にたどるのは歴史を複雑化して面白いけど、本質から大はずれしている気がする。
江東区の老人は、小麦粉が世に氾濫したのは敗戦後、アメリカ軍によるという。関東平野の土壌とか小麦の生産量とかいろんなことを関東の名物焼きそばを語るときにつけ加えるが、戦後の粉食は意外に単純かも。当然、1960年前後の酒田市の「あとがけ焼きそば」も同様だと思う。
ただ、中華の焼きそばと、この国の庶民が作り出したソースの焼きそばの違いは、調べると面白いと思う。
さて、ボクが作るのは、あり合わせのものだけで作り、何も乗っけないで、とてもシンプルなものだ。
味のいい埼玉の麺で作るので香ばしくソテーして麺そのものの味を楽しんでいる。
ソースは千葉県で買ったカゴメのウスターソース。
カゴメソースとブルドッグはどちらかというと酸味が薄く、優等生的な味だ。ソースに関しては。イカリソース、名前が出てこない北海道で買ったソースなど、ちょっとずつ地域によって違いがあるのが楽しい。こんな日常的なものの違いを楽しむのも旅だと考えている。
コラムの続きを読む 
コラム 

スロット マシン出金時間

千葉県千葉市、千葉市地方卸売市場は規模が大きく、関連棟も充実している。あまりにも細長いのが難点で、できれば正方形に近い形で作って欲しかった。
長すぎるので途中で一休みしたくなる。そんな中間地点にあったのがミルクスタンド カワイだ。看板にたばこ、新聞、雑誌、牛乳、パンとある。この総てが今では斜陽である。あえて言えば菓子パンは売れるかも。
あまりにも懐かしいので、ここで牛乳を飲む。
フルヤ牛乳の4.2特濃牛乳だった。4.2は意味不明だったが、ガラスケースの上でフィルムをはがしてフタを開けてくれた。本当に懐かしいさがこみ上げてきた。
コラムの続きを読む 
同定 

壇 蜜 スロット

東京都東久留米市、東京北魚で買い求めた新潟県佐渡産白バイは、明らかに富山湾、朝鮮半島東岸などにいる、カガバイよりも北にいるタイプ、ノッポバイだと考えた。このあたりは貝類学者の黒住耐二さんの考えとも一致する。
中に1個体だけオオエッチュウバイが混ざっていた。とするとバイかご(バイガイ用のかご)の水深は400mくらいではないかと思われる。
オオエッチュウバイはエッチュウバイ・ノッポバイと比べると深い場所にいるが、今回の佐渡沖ではその中間地点で漁が行われていて、オオエッチュウバイとノッポバイを水揚げ後選別している可能性を感じる。
ちなみにノッポバイと比べるとオオエッチュウバイは大きいというのもあるが、ずんぐりむっくりして膨らみが強く、貝殻が薄くもろい。
オオエッチュウバイは島根県、山口県などで大量に揚がる白バイ(エッチュウバイ)などと比べて、遙かに美味である。新潟県で名物として高値がつくのもわかる気がする。
コラムの続きを読む 
料理法・レシピ 

スロット マシンカジノ 4号機

かなり前の話だけど、コンビニで「ツナマヨがない」と騒いでいるお子様がいたので、そのときボクはー♪ 気がついたー♪ そうだ春休みだと。
八王子綜合卸売協同組合、舵丸水産で目的があってカツオを1尾買っていた。ツナマヨが頭にあったので、じっくりしみじみツナについて考えた。
目的があって買ったカツオだが、余り半身を刺身で、というのをやめてツナマヨ作ろう!
さて、ツナマヨとはなんだろう?
ツナという魚の一覧に関してはサイトを見てもらうしかないのではしょる。
料理であって料理ではないようなもので、ツナ(マグロ属)、カツオのツナ缶(オイル漬け・水煮缶)とマヨネーズを和えたものだ。どの家でも普通に作っているものが、コンビニのせいで一般名詞化した例のひとつだろう。
考えてみると1985年に、まだ新人モデルだった広田けいこ(漢字忘れた)が、深夜にいなりずしを食べたくなったせいで、「いなりずし」が一般名詞化したのと同じである。蛇足だけど、このせいで「きつねずし」という言語が駆逐される。
コラムの続きを読む 
コラム 

スロット マシン

八王子綜合卸売協同組合、舵丸水産で広島市産カンカン入り剥きガキを5つ買う。225円だった。
あくまでもボクの場合だけど、マガキは10月から3月いっぱいまでにしている。今年はちょっとだけ遅れて、4月中旬にマガキ終いをする。そのための5つである。
ちなみに懐石ではそろそろ「名残の」、とつきそうなマガキだけど、この4月がいちばんぽってり太っているのが残念でならない。近年、食い時を4月いっぱいまでに延長したくなっているが、イワガキと重なるのがいやなので、迷いに迷っている。
思えば初カキフライは遅れ、昨年11月も末のことだった。
振り返ってみると昔は10月の声を聞くと間違いなく秋深し、だったのに最近では11月に秋の気配を感じている。海水温の上昇にもだえくるしむ海藻たちの気持ちがわかる。
さて、4月半ば、広島市江波の剥きガキは触ると弾力があり上々のものであった。
帰宅後、剥きガキは大根おろしできれいにして、水分をきって、冷蔵庫で一休みしてもらう。
市場から帰宅すると、買ったもの、送られて来たものを処理しなくてはいけないので、2時間前後魚介類にまみれる。
ここでシャワーをあびるのだけど、お昼ご飯の大方を作っておく。
カキフライの材料を集めて置く。
剥き身に塩コショウし、小麦粉をまぶし、溶き卵にくぐらせ、パン粉をつける。
水産生物の細かい部分まで見たり撮影したりすると、脳みそも身体も疲れ切るので、この日はシャワーではなく湯船で身体を癒やす。
風呂上がりに、皿にキャベツがなかったので、セルバティコを敷き、カキフライを揚げて並べてお終いである。
これでビールといきたいところだけど、さんぴん茶を氷入りで。
早く昼ビールをやりたいものだと思うけど、人生我慢が肝心なのだ。
終いのカキフライがたった5個というのが、ボクの体調のせいなのも悲しい。
でも、揚げたてのカキフライにご飯、ワカメのみそ汁にさんぴん茶は、いい昼ご飯だと思う。
揚げたてのカキフライの、じゅわりと出てくるジュのうまさたるや筆舌に尽くしがたい。
ご飯との相性がいいことにも喜びを感じる。
ふと、「あ、あ」、今季もこれで、この渋甘い、濃厚なカキフライともおさらばか、なんて切なくもなる。
コラムの続きを読む 
コラム 

スロット マシン

ちょっとだけ日記風に。
八王子綜合卸売協同組合、舵丸水産に兵庫県明石市、明石浦漁業協同組合から明石鯛(マダイ)が来ていた。桜はまだちらほら残っているので、ぎりぎり桜鯛という言語を使ってもいいだろう。
目の下一尺、1.1kg の理想的な大きさのマダイである。ちなみにマダイはこの目の下一尺から一尺半くらいがいいと思っておりまする。
執念深い明石人(原はつきまへん)が飛ばしてきたタイなので、鮮度抜群やし、ちゃんと血抜きされてますので、これ以上望めない、といったものである。
瀬戸内海といえば産卵期に大漁が続く「魚島の鯛」だが、5月、6月に大量に揚がるタイはそれほどはうまくない。
「魚島の鯛」の手前まで文句なしにおいしくて、「魚島の鯛」になったら「これはこれで重宝します。おかずにします」と考えるべきである。
産卵間近、産卵後のマダイを猫またぎというアホな魚通がいるが、大間違い。これはこれで料理のやりかた次第で抜群にうまいと、わざわざつけ加えておきたい。
基本的に買った魚は計測して、撮影する。
タイ科の魚は下ろす難易度が極めて低いのでほんの数分でばらばら事件となる。
まっさきに作ったのが兜焼きである。
「兜焼きなんぞ、なんで作ってもおんなしですがな」と昔、大阪市にある、長い長い商店街の曾我廼家五郎八に、養殖もののマダイの兜をすすめられたが、兜の塩焼きほど、そのタイの素性がわかるものはない。兜焼きは上物のタイで作らなあきまへん。
ちなみにこの日、我が家にはおやつが枯渇していた。
お茶を飲んでもつまむものがない。
お菓子代わりの兜焼きでもある。
コラムの続きを読む 
コラム 

スロット マシン出金時間

千葉県には船橋、柏市、松戸市、成田市、そして千葉市に水産を含む市場がある。それぞれに個性があり、地域を反映している。
柏市は完全に消費地市場で上物も多く、荷の量も多い。仲卸が魅力的である。船橋市は東京湾を強く感じるところで、昔の築地を思わせるよさがある。松戸市は比較的安く、しかも仲卸が一般人に対して親切である、関連棟が魅力的だ。
千葉市地方卸売市場の水産棟は規模が大きく、上物あり、マグロ屋が多く、比較的廉価なものもあり、塩乾などもある総合的な水産市場である。
場内には、上物がたくさん並んでいた。生を扱うマグロ屋もあり、クエなどの超高級魚も並ぶ。
コラムの続きを読む 
同定 

スロット マシン出金

北海道室蘭市、『ヤマサン 渡辺』、山本涼子さんたちに送って頂いた、エゾバイ科モロハバイ属の巻き貝を完全に処理するのにはまだまだ時間がかかる。合計10㎏近くが我が家に眠っていて、基本的に全部のタイプを分けたつもりだだけど、全然行き着く先はわからない。
千葉県立博物館に何㎏か送り、そのうちモロハバイ属の座談会をひらく。
我が家にある貝類図鑑は13冊だが、県立博物館にはこの何倍もあり、紙で保存している論文も多い。
この1つの属をめぐってああでもない、こうでもないと議論することは非常に有意義である。偉大なる貝類学者の一人である、吉良哲明(1888-1965。僧侶でもあった)は、この座談会的なものの中心にいて、貝類の分類をすすめていたのだと考えている。
この非常においしい、北国の巻き貝は、我が家にある貝類図鑑では、モロハバイ、ヤゲンバイ、ヒモカケヤゲンバイ、ヒトハバイになるが、1種にまとめるべきか、それぞれ亜種としていいかは、ボクの段階ではわからない。
ことほどさように同定というものは難しい。テレビの監修をやっていたことがあるし、問い合わせに応じたこともあるけど、画像だけで見るのは不可能なものがいっぱいある。
4月中には結論を出すつもりだが、亜種すべてをページ化する。
コラムの続きを読む 
加工品 

新横浜 パチンコ

ウナギの旅を続けているとき、ボクの出身県である徳島県小松島の「竹ちくわ」を送って頂いたのはタイムリーだった。この「竹ちくわ」と関西に多い焼き蒲鉾はウナギ料理の歴史を考える上で非常に重要なのだ。
徳島県美馬郡貞光町(現つるぎ町貞光)に生まれたので、生まれて初めての都会は徳島市だった。面白いもので、徳島県でももっと西の池田町(現三好市)の老人に聞くと最初の都会は高松だったという。
ことの真意はともかく、池田町で食べられていた竹輪など練り製品は「えびちくわ」だったり、普通の穴の開いた竹輪など香川県観音寺あたりのもの。
これが徳島本線の池田と徳島の中間地点のボクの町では、どちらかというと小松島市・徳島市・鳴門市で作った「竹ちくわ」、「かつ」、「長天」になる。
同じ県の練り製品を考えてもこれだけの違いがある。水産物など食べ物を考えるとき、ぜったいにやってはいけないのが県単位で区切ることだ。
家族と一緒に徳島市内にでて、丸新デパートとかつぼみやとかを連れ歩かれて、我慢に我慢を重ねる代わりに買ってもらったのがプラモデルや本だった。それと帰りに必ずねだるのが徳島駅売店の「竹ちくわ」だ。
黄緑色の包み紙を持つのはボクの役割だったと思う。この「竹ちくわ」と冷凍ミカン、機関車の煤がボクの徳島本線の最初の想い出だ。
横道にそれるが、子供の頃、機関車とディーゼルカーは知っていたけど高知に行って初めて電車に乗ったとき、都会だと感じたものだ。家族のいる東京に行くときの、大阪から東京までの電車では走り回るほど興奮した。電車に都会を感じるのは国内広といえども徳島県人と沖縄県人だけだったと思う。沖縄県にはすでに電車が走っているので、追い越された感が非常に強い。
小学校に上がる前後から、「竹ちくわ」はボクの好物だった。たぶんかなり高かったのではないか? だから徳島駅で買うお土産だった。あまりに好きなのでボクだけが2本、3本食べていたっけなー。
さて、なぜ竹輪は竹輪なのか? それは細い竹を切り、竹を適当な長さに切る。乾燥させない生の竹に魚肉(最初は主に淡水魚)を握りつけて、直火で焼く。古代には竹についた状態が完成形だったと思う。これが後に焼き上がったら竹から外すようになる。竹につけて焼き、切ると断面が輪なので、竹輪だ。
徳島の「竹ちくわ」は焼いて抜かないままだ。たぶんこの国広しといえども、こんな原始的な姿を残した竹輪はないだろう。
ちなみに蒲鉾の語源を同じように棒状のものに握りつけて焼く。この形が蒲の穂に似ているから、蒲鉾だとしているが、大間違いだと思っている。これは別項で述べたい。
徳島の竹輪はやや甘めである。足(弾力といっても間違いではない)はある方だと思うが、その足が強すぎないのがいい。
「竹ちくわ」を食べると、Homeward Bound ♪
徳島県の山崎さんには感謝の致しようがない。
コラムの続きを読む 
コラム 

ベットアンドユーカジノ

八王子綜合卸売センター、舵丸水産、クマゴロウが銭州通いを開始した。名人なのだろう、今年はシマアジ爆釣で、ゲストが少ない。
ヒレナガカンパチ、ナンヨウカイワリ、オオヒメが本命の脇を彩る存在だけど、考えたらなんて豪華絢爛であることか。
今回はこの準主役級、オオヒメ(体長35cm・920g)を密かに連れ帰ってきた。
少し難しい話になるが、魚類のほとんどはスズキ目(非常に上の階級)に所属するので、ニュースなどで「スズキの仲間」というくらい意味不明の言葉はない。上から階級をたどると界→門→綱→目→科→属→種、で、本当に魚介類が知りたかったら目から種くらいまでの階級は知って置くといい。
オオヒメはスズキ目フエダイ科ヒメダイ属である。
フエダイ科は全国的とは言えないが、関東、静岡や紀伊半島、四国南部、九州南部、琉球列島で流通のプロには当たり前の魚なのである。高級魚は流通のプロが主に作り出すものだが、その高級魚の主役もタイ科からフエダイ科に移行している。
東京には、小笠原からの定期便や伊豆諸島からも「おなが(ハマダイ)」、シマチビキ、同属のヒメダイとともにやってきているので、古くからフエダイ科に慣れ親しんでいる。
ヒメダイ、オオヒメは極めて似ていて、東京を始め関東周辺では、ともに「おごだい」である。種は違っているが、流通上は同種と見なされているのだ。
この2種を分けるのは魚類学者か魚類学に関心を持っている一部の人間だけである。種の見分け方は慣れないとできない。ただし、「大姫」の名の通りに、ヒメダイよりもオオヒメの方が大型になる。
伊豆諸島からくるヒメダイ属2種では、昔は圧倒的にヒメダイの方が多かった。ところが最近、温暖化のせいかオオヒメの比率が上がってきているようなのだ。
「おごだい」の味のよさは昔から東京では知られている。ここにオオヒメが混ざり、「おごだい」は量的にも増えている。安定的に入荷しているので、価格がやや高値ではあるが安定しているのである。ここにきて魚価全般が高騰しているために、最近、ヒメダイ・オオヒメの値段が安く感じるのだ。年間を通して味がよく、その上、歩留まりがいいので、お買いでもある。
この専門家にとっては平凡な魚は、いまのところ一般人には遠い存在でしかない。これを機会に、一般人にも平凡な魚になるといい。
コラムの続きを読む 
コラム 

ベットアンドユーカジノ

あんまりにも同じ物を見つめすぎると身体が熱くなる。巻き貝の世界は非常に難しい。取り分け形態的な連続性を考え始めると、きりがない。別に病気でもないのに身体が熱くなり、冷たい床に腹ばいになるのが、ボクの対処法。
憂さ晴らしに埼玉県まで野菜や地域ならではのものを買いに行ってきた。そしてまた埼玉県川島町の直売所で、太巻き手打ちうどん弁当(うどんつき弁当)を買った。
川島町のある埼玉県など関東平野は古くからの畑作地帯で小麦粉文化圏だ。
1590年、徳川家が江戸入り後すぐから徳川家は米(戦国時代に耕地が増え、米の収穫量が増えると、米本位制となる。米は食料でもあり、金と同等のものでもある)の確保に苦しんだ。徳川家家臣団、江戸幕府を築く流入民に分け与える米が不足していたのだ。この米不足は1670年代に河村瑞賢が東北からの米廻船の新航路を見出すまで続く。
考えてみると関東平野は古くは秩父平氏、次いで鎌倉幕府ができ、室町期に鎌倉公方、関東管領が統治する。鎌倉公方、関東管領の享徳の乱の後、この足利の支配が消えると、後北条氏、上杉謙信の上杉氏、武田氏が、享徳の乱の続きを始める。後北条氏、上杉謙信の上杉氏、武田氏が天下を取れなかったのは関東平野にこだわったからだ。ものなりの悪い土地の争奪戦にこの戦国武将達はなぜにこだわったのだろう。
さて、旧比企郡にある川島町は旧川越藩の領地だ。川越は太田道灌の太田氏との繋がりがあり、江戸時代には小田原藩とともに特別な藩だった。
川島町周辺では江戸時代から米はとれていたものの、伊達藩、仙台米と比べると質が落ちた。ある意味、米は藩に税として収めて、主食は麦だったのではないか。
ちなみに戦後になっても埼玉県の米は東京での評価は低く、安かった。江東区の民俗学資料の米穀店の聞き書きに埼玉米は煎餅屋に下ろすために仕入れているもので、決して一般家庭では食べなかったとある。
埼玉県北部や群馬県にみられるゆでうどん付き弁当は、その米不足の名残である。
不思議な取り合わせで決して身体にはよくないと思うけど、いろんな味が楽しめるのでついつい手が出てしまう。
コラムの続きを読む 

スロット マシンカジノ 初回入金ボーナス

ライブ ルーレット スロット イベント ツイッターベガスカントリーカジノ会員登録エルドラード会員登録 ロイヤルパンダルーレット コニベット 出金カジノ トランプ プロモコードコニベット 評判 カジノ ネット ログインできないハッピー スター カジノ スロットぱちんこCRモンスターハンター4ステーク カジノ 知恵袋